自分が所属している組織が何を目指している組織なのか、
組織の存在意義に対して自分が何をしているのか、
自分の仕事は何のために、誰のためにやっているのか、
誰が喜んでくれるのか、・・・
といったことは、青臭い という言葉が似合う典型でしょうか。
しかし、そうしたことを思い出す頻度が高いほど、
仕事への意欲を再起動させやすいし、
自分を見失う回数が減り(回数は減らないかもしれないが、元に戻れる)、
と、私自身は確信しています。
働くことの目的や意義を、ことある毎に考えるようにしている自分には、
働き方改革、という言葉は(目新しいけど)関係ないね!
そんな気持ちにもなります。
働き方改革って何?
何を目指しているのか、目指すところへの歩みが感じられるのか、
といったことは、「前提条件」として切り捨てられていないか?
働き方そのものが個々人の「青臭い部分」にあるので、
働き方の本質には触れず、テクニック論への舵取りをせざるを得ないのでしょう。
しかし、本質を避けての議論に終始するのであれば、
その後の議論や、議論の結果として改革は無意味、害悪ではないでしょうか?
(2017年10月作成)