社会人に成り立ての頃、「まあ3年は我慢することだね」という趣旨のお話を上司からされたとき、
「3年」という期間がとてつもなく長い時間に思えました。
3年計画、などということが、自分の中では非現実的に感じられたのです。
思い返せば、「3年」もあったら,自分がどのくらい変化しているか、自分でも想像ができない、
ということだったのでしょう。
同級生が次々と、ローンを組んで自宅を購入していた時期にも、
30年も先のことを考えられるなんて凄いなぁ
などと感心していたものです。
先を見通せないほど変化の激しい環境に身を置いていたのだ、と自分のことを考えることもできますし、
先のことを想像する能力が不足している、と考えることもできます。
(前者であると解釈し、後者であるということからは目を背けてきたような気がします)
今、「3年(後)」と言われたら、あの頃よりも想像しやすい自分になっています。
3年後の自分が、現在の自分の想定外の場所にいる、ということが想像できない、ということでもあります。
自分自身の成長や発展が想定内である、ということか、というように考えてみると、
小さな寂しさや自分の衰えのようなものを感じます。
成長または発展が想定できないほど早かったり、大きかったりする産業には、
本気で関われないということではないか・・・
小さな寂しさなんて感じていないで、自分を奮い立たせなくては。
(2015年3月作成)