先輩方は、『自分の理想の姿と、人前での現実の姿とのギャップを想像することで緊張する』
というメカニズムを認識せずに、「要するに、慣れなんだよ。」アドバイスしていたのでしょう。
場数を踏むことで、ありのままの自分以上を見せようとしなくなるのでありましょうから、
嘘ではない。(しかし、まだ慣れていないヒトには、全く役立たないアドバイスですね)
ありのままの自分以上を見せようとしなくなるのに、ある程度の場数を踏む必要がある、
ということなのでしょう。 自分の体験からも、そう言えます。
また、場数を踏むと、『質問の流し方』が身に付いてくるかもしれません。
私自身も、以前に比べれば、『質問の流し方』が分かってきたような気がします。
しかし、テクニックに長けてくる、というよりも、
質問者の意図がどこにあるのかを探りながら質問を聴けるようになってきた
ということが、結果として「質問の流し方」が少し上手くなったのだろうと思います。
場数を踏んだからできるようになったというよりも、
他人の話を聞くというのは、どういう事なのだろうか
ということを探求していた時期があり、その探求も役立っているように思います。
なお、私個人としては、場数を踏んでも「図々しく」はなりたくありません。
「図々しくなった」というようなネガティブな感想を持たれないように、
健全な爽やかさとまで行かなくても、愚直なひたむきさを感じてもらうところにとどめたい、と思っています。
(2013年8月作成)