大震災による原発の問題に関する情報の中で「アカデミック・フリーダム」という言葉を知りました。
『原子力発電によって、直接または間接的に利益を得ている人の発言や考えには、偏りがある。
一方、学問として純粋に研究している人ならば、その発言や考えには偏りが小さいはずである。』
と、そんな意味で使われていました。
「アカデミック・フリーダム」という言葉は知らなかったものの、
何の役に立つのかを周囲に対して分からせる努力をしない「象牙の塔」には、以前から嫌悪感を抱いています。
産学連携に深く関わっていた頃には、「学問のための学問」という蛸壺に入っているように見える先生方に対して、
税金を使って得た「知的財産」を、特許出願せずに論文発表(にて世界へ流出)するのは国賊だ!
という過激な表現のプレゼンをしたこともありました。
その一方、自分は大学生や大学院生の前に立つ危害があるので、
その時には、どの企業の肩を持つこともなく純粋に学問的な事柄を伝えよう、
ということは、これまでも意識してきました。「アカデミック・フリーダム」という言葉を知りませんでしたけど。
しかし、今後はもっと高いレベルで意識してみよう、と考えました。
(2011年4月作成)