米国にてヒットした映画やテレビ番組が日本に上陸する。
上陸するモノのうち、私が接するモノはわずかなのだと思いますが、
たいてい、そのシナリオには感心させられます。
(お決まり、お約束のシナリオによる映画もありますが、それは除く)
アッと思わせるストーリー展開。
これならヒットするよなぁ、と頷かざるを得ません。
日本は戦略下手、といった意見や本を見かけることは多いのですが、
シナリオ・ライティングという基礎的能力の平均的なレベルが低いこと、
これが、戦略下手の遠因ではないでしょうか。
とはいえ、日本の得意なこと、世界で評価されているアニメは、
シナリオ・ライティングに優れたモノが評価されているはず。
「モノづくり」にストーリー性を織り込むシナリオ・ライティングがあれば、
世界中で受け入れられるのではないか?
とすれば、そのシナリオを誰が描くのか、ということに帰結するのではないか?
そんな大それたことを、ついつい考えてしまいました。
なお、この原稿を書いた直後に、
私の最近のキーワードは『シナリオ』です
と、ある会議で発言したのですが、その会議の場でご一緒したK氏が
戦略は戦うためのモノ、本当に戦わなくてはならないのか?
戦わないというやり方もありますよね。
と賛同して下さったのは嬉しかったです。
(2009年12月作成)